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純和式の畳が浮世絵の額縁になりました
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第17話

私は浮世絵というものが木版画ということを、ボストン美術館の展示で初めて知ったということをご紹介しました。そんな小・中学校で教わりたかったような話が、他にもありました。
展示の浮世絵をよくよく見ると、その彫り、摺りのレベルが尋常でないことから、それぞれの道を極めた者でしかできない、つまり、彫りと摺りはそれぞれ別の人がやっている!と見えてきたのです。ですと、専門職の彼らが作画までできないので、絵を描く絵師が別にいたはずです。そう、浮世絵というのは、絵師、彫師、摺師の分業制で作りあげたもの、と分かってきました。また、その人たちを使ってビジネスしていた人(版元)の存在も見えてきました。普通、絵画といえばデザイナーが個人で完結するものですが、浮世絵は全く違うのです。分業制、企業的組織で作りあげていたのです。
有名な北斎、広重、写楽、歌麿、というのはあくまで作画をしただけで、彫り摺りまでやったわけではないのです。では誰が彫り摺りをやったかというと、それは名も無き職人だったのです。江戸で生まれた浮世絵ですが、尋常な匠の技を持った職人の名は残されてはいませんが、それが江戸っ子職人の粋(いき)なところだったのかもしれませんね。